2012/10/07

「シェアする/共有する」という表現


まだまだ不勉強なのですが、個人的に感じている気持ちをメモしてみます。

最近いろんなサイトやアプリケーションで目にする「シェアする/共有する」といった表現が気持ち悪いなーと感じてます。


人が「すばらしい」と思う情報を見つけたときは、こんなフローがあるのではないかなと。

1. ユーザが何かの対象に対して抱いた感情とか気持ちが沸き上がり、
2. その気持ちから何かのアクションが生まれ、
3. そのアクションの結果がユーザのネットワークを通して周囲の人に伝播する。

「シェアする/共有する」は、「情報を周りの人に伝えることが目的の、感情や気持ちを表現しない単純な動作」という表現と感じてしまいます。
そのため、上記のフローの最初にある「人の感情や気持ち」が欠けてしまっている気がして、これが個人的に気持ち悪く感じている理由な気がしています。

そんな理由から、個人的にはfacebookのlikeやgoogle plusの+1、昔のdiggとかであったthumbs up/downとかの表現はすばらしいと思います。


「シェアする/共有する」は、コンテンツをいろんな人に伝えてほしい情報提供者側の気持ちが多く込められていて、ユーザ視点からの表現ではない気がします。

いろんなサイトで安易に「シェアする/共有する」操作を追加するのよりも、提供するコンテンツにあった感情も表現できるアクションをつけてあげるといいのではないでしょうか?

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